「介護・看取り・相続」終活なるほどカフェ・・・自分の看取り体験から

更新日:2015/08/12

IMG_4188先日のやまなし市民大学、医療マルチステークホルダーダイアログに参加していて、ふと、出てきた看取りについての体験をシェアしたくなりました。

というのも、なかなか、医療というのが、健康体である若い人にとっては、あまり身近に感じられることではなくて、何から考えていいかわからない。という話が出ていたというのがあります。

「自分自身はあまり実感は無くても、身内を看取る立場になったら、それですむのかなー?
たとえば、私の看取りの経験として・・・」

と、ちょっと過去の重たい看取りの話を紹介しました。

自分自身は、残念ながら母親の死に目に間に合わなかった人です。

施設で症状が急変してそのまま、帰らぬ人となりました。

第一連絡者は私だったので、私のところに連絡が来たときはすでにこと切れていたのです。

そして、施設の方曰く、

「心肺蘇生を今から試みますか?」

と聞かれたのです。

 

そのとき、ものすごい動揺が駆け巡りました。

今、まさに臨終を迎えているという。自分も死に目に会えない。

そのショックがあり、もしかして、蘇生したら・・・と。

 

でも、私はあることを思い出していました。そして、施設の方に

「すでに、息絶えている。そいうことですよね?」

とたずねました。

「はい、そうです。」

「じゃあ、そのままにしてあげてください。いろいろと有難うございます。」

そんな、きれいな言葉ではなかった気がしますが、そのあと、急いで搬送先の病院に向かった覚えがあります。

 

で、ここでお伝えしたいのは、

なぜ、「そのままにしてあげてください」と言えたのか。

ここに大事なポイントがあるのです。

ここは、いつでも、だれでも、突然迫られてくることなんだと。

 

私の場合、

それまでの何度かの入退院を繰り返す中、

自然と身内(兄弟3人)の間で、

「もしもの時は、安らかに逝ってもらおう。」

という合意が出来ていたからこそ、安心して判断を下せたのだと思います。

医療機関に薬剤師として勤めている妹から、多くの死に目を病院で見てきて、

下手に人工心肺をつけてしまったことで、止めるタイミングを見出せずに延命処置が続けられるケースを多く見ていたようです。

「無理やり心臓をひっぱたいたりして蘇生させて、人工心肺つけて、死んでいるのかどうかわからなるような状態にはさせてあげたくない。」

この思いを共有していたからこそ、その判断が出来たのだと思います。

本来であれば、母親から確認するべきだったのでしょうが、認知症が進んでいてそういう話は出来なかった。

でも、兄弟で合意が得られているかどうか、とても大切な点だと思いました。

 

翻って、なかなか医療を身近に感じられなくても、

いざ、こういう判断が迫られる時が来るのです。

身内についてもそうですし、自分自身もどのように死にたいかを考えておかないと。

そして、それを身内の誰かに伝えておかないと誰も判断できず、本人の望まない延命がなされ、医療費の垂れ流しに手を貸すことになるのです。

 

「でも、そんな深刻な話、なかなかする場面が無い」との今回の話し合いで出た言葉。

 

確かにそうかもしれない。

なので、ご提案としては、

そういった、ほかにもある予め決めておくべき、介護や看取り、葬式やお墓、相続の方針などなど、

一度まとめて洗い出しておき、安心して看取るためにこれだけ決めごとあるんだねと、話し合う雰囲気を醸成していく。

そうしておいて、機を見て話し合う場にもっていく。

 

何を洗い出せばいいか、気になる方はぜひ下記のイベントから始めてみてはいかがでしょうか。

 

ご案内:9月26日(土)13時30分~16時30分 横浜駅西口近くの会場にて

「介護・看取り・相続」終活なるほどカフェ

参加者募集中!詳細はこちらから


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