【ヤスの街道を行く】 その⑥日光街道終着地編

更新日:2015/07/03

297985_492561074142316_290837284_nだんだん、番外編ばかりになって来ましたが、今日はすっかりむかしの面影が無くなった江戸日本橋の出発地点を離れ、終着地点の姿をみながら、まち歩きを楽しみました。
まだ、風も冷たく桜もまだこれからの早春の日光は、まさに街道の終着地にふさわしい趣きがありました。
日光街道はみなさんも知っての通り、神となって幕府を鎮守する東照大権現家康公を詣でるために出来た街道。
言ってみれば、お上の都合で出来た街道なんだ〜という事にもなるでしょう。そう、公共事業。

でも、そもそもなんで日光なの?という点で、実際に今回行ってみて何か腑に落ちた感があったんです。
よく聞くところでは家康が「西から攻めて来たら、ここに拠って戦え!」とここを廟所に定めたと言われてます。
しかし、それ以上にバックにそびえ立つ女峰山、男体山などの山の持つパワーに人々が惹きつけられ、そこに何百年もかけてここが築き上げられたのだろうと。
それは、各寺社を廻ってみて、権現様がいたり大国主の尊がいたり仏様がいたり七福神がいたり干支それぞれに菩薩様がいたりして、ん〜??今は寺だっけ?神社だっけ?とだんだん頭痛がしてきたことと(要は霊験あらたかなら何にでもあやれる便利さ)。554601_492561110808979_1227674805_n
朝、車窓から日光の山々をみて無意識にカメラを向けた自分の中の心のトキメキ。
天平の時代からすでにここは修験僧の修行の場であったらしい事。
などから、
もともと、日本人が感じるアメニズム=山岳信仰→パワースポットとしての山があって、あとはそこにいろんな神仏が乗っかって行って、最後に将軍様もあやかったと言った方がわかりやすいような気がしてきたという事です。
そう考えてみると、
お上の都合で作った街道も人びとに元気や癒しを与える場を古くから提供して、関東人の心の拠り所としてのインフラを整備して来た結果が今の日光なんだ〜と深く感じた次第なのです。422037_492561144142309_1506838020_n
しかし、今なら思いついてすぐ行ける日光も昔は命がけの旅だったんでしょうから、昔の人は庶民も含めて本当におおらかにタフな方々が多かったんでしょうね。
そんなことを二荒山神社に祀られた大国主(=大黒天)のキャラの立った肖像を見て思った次第です。
<終わり>

2013年4月19日

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