組織神話が個人の物語として刻まれることが学びなのか?

更新日:2015/11/20

0186e61326defd29cfdc7099d5a817fc24de7f3b38システムコーチングで組織や家族などを扱うとき、必ず意識するのがその組織で語り継がれている神話は何かということ。

それは、良くも悪しくもその組織での行動を進めたり、縛ったりしているものだったりします。

神話とは?とググってみたら文末の解説がありました。

神話というと神様が出てくるような神聖な物語っていうイメージもあるけど、必ずしもそうではなくて、③のような事が身近な組織や家族の中にも存在していると捉えて観察してみるわけです。

実は、神話って、これが神話です!という風に語り継がれずに、笑い話で語られたり、組織のなかで不文律で戒められてきていることの根っこに眠っていたりする。

そして、ひとたび、その組織から離れたとしても、それが自分の中にずっと生き続けて個人の行動規範としても影響を及ぼしたりする。

それが、個人のキャリアを進める上でも大きく影響を及ぼしているのでは・・・と考えてみました。

たとえば、教育、特に私学における学びも、もしかしたら、そういう側面はあるかなあと考えています。

創立者がどんな思いで学校を作ったか?創立時の出来事や苦労した出来事が語りづがれる中で知らず知らずのうちに自らの規範として学び取っていく。

そして、そんな背景の中で、実際に自らが学校で体験したことが、過去の神話との対比の中で、格付けされて、自分の原体験として自分自身に刻まれていくのだと。

それが神聖な体験であればあるほど、自分自身の人格を形作る礎となっていくし、とてもつらい体験だとそれを受け入れられずにいつまでも個人の課題として暗くて深いところにずっと棲みつづけるかもしれない。

昨日は、中高で一緒に学んだメンバーとクローズな飲み会をしたのですが、飲むと必ず出てくる話があります。

たくさんの神聖な気持ちになれた思い出もあれば、ちょっと、暗くなる受け取れない思い出もある。

明るく盛り上がってみたり、やはり、あの話になるのかとちょっとしんみりしたり。そんな話が車のテールライトのように交錯し、明滅したひと時でした。

他の学校ではありえないような自然と触れ合った体験や寮生活や学校行事などでどんな人とも嫌でも関わってかないと成り立たない体験から、たくさん学ばせてもらったが故のこのブレ幅ともいえるかもしれない。

よき体験も痛い体験もすべてひっくるめて自分を形成させてもらった気がしてます。

そして、世の中が希望と可能性に満ち満ちている!と信じれる自分もあれば、

やっぱりね!とシラケて見る醒めた自分もいる。

そんなめくるめく気持ちが波のようで、最期は老子の太極図行きついてしまうのです。

そして、決して希望は失わない。失いたくない。

解決されていないこともきっといつか雪解けを迎えると信じたい。

だから、こうやって社会に出てからも、心を病むことなくやってこれたのかもね。しびらっこく生きてきます。

書きはじめた時、暗い思い出をクローズアップしようとして、なんか片手落ちな気がして、ふと手を止めた自分を自覚してます。

だから、なんかちぐはぐな文章だな。今日は。笑

しんわ【神話】
①古くから人々の間に語り継がれている,神を中心とした物語。
②宇宙・人間・文化の起源などを超自然的存在の関与の結果として基礎づけ,説明した話。神聖な真実として信じられ,日常生活の規範として機能することもある。
③人間の思惟(しい)や行動を非合理的に拘束し,左右する理念や固定観念。 「皇軍不敗の-に踊らされる」
大辞林 第三版の解説より


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